ばぁちゃん。

祖母が安らかに息を引き取りました。
89歳でした。
会津那須越県ロングトレイルの報告、次男の運動会の報告を家族みんなで行った翌々日に。家族のイベントが終わるのを待っていてくれたかのように穏やかに息を引き取りました。
最後の会話では、うなずいてもくれて、手も握り返してもくれました。
夏から何度も何度も危篤状態が続き、いつどうなっても…
家族皆、毎日、覚悟はしていましたが…
スポーツ一家だけに、自分達だけの都合任せに出来ない、イベントやレースが立て込んでいただけに、介護をしていた私の母は、9月になると「孝道の会津那須越県ロングトレイル」が終わるまでは「ばあちゃんがんばろう。」とずっと励ましてくれていたそうです。
葬儀は今週末。
今週末は、私のイベントもレースもなく。
長男カッツのレースもなく。
当初から、この週末だけ、何の予定も入れていませんでした。
本当にばぁちゃん、すごいよ。
6姉妹の4番目に生まれた、ばあちゃん。
眞舩家の五代目として、お婿さんを那須連峰の向こう側、那須町から西郷村へ、迎え入れました。
若い頃は代用教員として、地域の小学校(分校)で教鞭を執っていました。
ド田舎の農家のばあちゃんなのに、歌を唄いながらピアノも弾ける姿は、小学生のボクは何だか誇らしかった思い出があります。地域には、たくさんの教え子がいて、みんな先生って呼んでいました。
人前で話すのも得意で、周りを盛り上げるムードメーカーで、いつも元気120%で、いつも空気を読んで、困っている人がいれば、元気がない人がいれば、すぐに全身全霊で手を差し伸べる姿。いつも地域のリーダーであり、チームのキャプテンであり。直売所の売り上げ高も、人気も、アイドル並みにNo1でした(^_^)。
小さな頃から、ボクの目指すべき姿は、ばあちゃんの姿だったのかもしれません。
いろんな思い出が蘇ります。
ボクが高校受験の際には、面接対策!?として、問い掛けがありました。
「面接会場に向かう途中に、廊下にゴミが落ちてました。さて、どうする?」
家を出たところから、勝負ははじまっている。
ソッと、黙ってゴミを拾い、何事もなかったように、ポケットにゴミを拾いなさい。人知れず。
ラッキーは、どこにでも落ちている。
そんなお話を、ばあちゃんから貰った思い出が蘇りました。
6姉妹の中から、代々の眞舩家を守った5代目のばあちゃん。
7代目となるボクも、天国のばあちゃんをアッと言わせるくらい、もっともっと頑張らなくちゃ!
しばし、自分のルーツを探り想う時間をいただきました。
※写真は、2015年3月実家の西郷村にて。
「どこに走りに行って、何時に戻って来るのか。」
「いつも心配してもらっていました。」


ばぁちゃん。” に対して2件のコメントがあります。

  1. ゆ~ より:

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    謹んでご冥福をお祈りします。
    一大イベントが終わって安心されたのかもしれませんね。
    今度は天国で見ていてくれると思います。
    これからも天国のばぁちゃんが自慢できるようご活躍を楽しみにしています。

  2. +mafu+ より:

    SECRET: 0
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    >ゆ~さん
    お言葉ありがとうございます(^_^)

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