尾瀬岩鞍バーティカルキロメーター2016

*群馬県片品村遠征*
尾瀬岩鞍バーティカルキロメーター

ふくしまでマウンテンスポーツ活動をする“mafu&kako” 二つの見方で振り返ります。

まずは、私mafuから。
えっ!kakoの方が先に見たい!って声が聞こえて来ましたが…スルー(笑)

ボクは、本来、スカイランニング競技をメインで活動しているわけではありませんが、血は騒ぎます(笑)

近年、盛り上がってきているから、新しいモノに飛びついたと言うわけではありません。

約15年前、大学を卒業し社会人となったばかりの頃に出会ったのが、国体:山岳競技(縦走)。
ボクは、2002年から06年まで、福島県代表の国体選手として活動してきました。

この競技は、まさに!「VK:バーティカル」の要素を含んだ競技内容でした。

17kgのザックを背負って、47都道府県の代表×2選手が、よーいドン!でスタートして、スキー場や登山道をイッキ登りで駆け上がり、ゴールではぶっ倒れるような競走でした。

ゴールでは、もちろん酸欠状態、そして“17kg”を背負った肩や首はムチ打ち状態にもなることも。

ボクは、来る日も来る日も20代のすべてをこの競技に捧げました。
現在の人格を創られたと言っても過言ではない時間でした。

国体では、各県2人一組でバディを組んで出走するこの種目。

福島県代表として出場した6年間で、優勝2回、準優勝2回、第5位入賞といったすばらし感動を味わいました。

相方バディにも恵まれました。
すべてが神懸かった思い出です。

初出場となった2002年高知国体では「優勝」を味わい、その後、国体競技削減の波に飲まれ最後の開催となった2007年秋田国体では、プレッシャーに負け、大ブレーキを起こし、10位で表彰台に立てずに泣きました。

翌年、挽回することもできない、最後の国体。取り返す努力すらできないで幕を閉じた国体:山岳競技(縦走)。

夜、布団に入ると、悔しくて悔しくて、一週間、まったく眠れず、気が付くと涙が流れていました。

その思いを消化するため、泣きながら、当時生活をしていた福島市の信夫山を夜通し徘徊ランニングしていたのは、今となっては、笑える思い出です。職務質問もされ(笑)

いきなり初出場で優勝を味わい、あとは6年間。プレッシャーとの闘い。
2007年、最後の国体時は、心身ボロボロで笑顔すらありませんでした。
でも、長い目で見れば、ボクのココロ・カラダも育んでくれたのが、この競技でした。

そんな思い出いっぱいのイッキ登り競技。
だから、「血」が騒がないはずがない(笑)

ただ、カラダの状況は日々変わり、2014年の夏に、突然、左肺がパンク(気胸)してしまい脱気手術。気胸を患いました。

完治はしたものの、アスリートとしての微妙な感覚はやはり違います。
あの呼吸が出来ない恐怖感もトラウマです。

トレーニングベースを変えざるを得なく、今まで行っていた「インターバル走」をここ2年、見送っています。

平地でも山岳地帯でも心肺機能をバックバクさせて、倒れ込むようなトレーニングは怖くてまだ出来ません。

ここ2年は、とにかく心拍を上げずに、肺に負担を掛けずに、呼吸が荒がない程度に、長い距離を走れるカラダに移行させようと意識的に取り組んできました。

そこに、今夏、イタリアで開催された『ユース:スカイランニング世界選手権』にユース日本代表として出場した、今では良きトレーニングパートナーでもあり愛弟子でもある“kako”と必然的に出会い、国体:山岳競技(縦走)と似た、この世界(スカイランニング:VKバーティカル)に目を向けようとする自分がいました。

今シーズンは、なんと!
9月の蔵王。そして、10月の尾瀬岩鞍と2本も走っちゃいました(笑)

所属チームSalomon協賛のレースでもあり、盛り上げ役♪としてはもちろんですが、kakoの引率サポートも兼ねながら。

タイム・順位を置いといて、やはり、血は騒ぎますね(笑)

蔵王&尾瀬岩鞍2本とも、カラダ(左肺)と相談しながらの走りですが“蔵王レース”より、今回の“尾瀬岩鞍レース”では追い込んでみました。

最後のスキー場を少しギアを入れてみました。
ゴール後に、倒れ込みました!

ストーリーがあります。
今回ラストのゲレンデで競り合ったのは、なんと!2002年の高知国体初出場時にライバルだった神奈川県代表の細野選手(笑)
ストーリーに溢れています(^ー^)v
負けるわけにはいかない!ダッシュ!

こんな倒れ込むまで追い込んだことは、気胸脱気手術後、はじめて。
2年ぶりに、ここまでバクバク、心肺に刺激を入れることが出来ました。

ひとつ、怖さの壁を越えることが出来ました。ボクの肺は、もう大丈夫だと思う。

来シーズンには、トレーニングに、インターバル走を復活できそうな手ごたえを感じました。
カラダにキレを取り戻したい。

ロングレースも良いけど、キレのある走りをもう一度してみたい。
そんな衝動に駆られています。

++++++++
続いては、みなさん(笑)お待ちかねの“kako”についての振り返り。

なんと言っても、生まれてはじめての「招待選手」。

そして、前夜祭での『ユース:スカイランニング世界選手権』報告会でのスピーチ、トークショー。



行きの車中から黙り込んで?!緊張と興奮が入り混じっていました(笑)

同じ招待選手の中には、日本のスカイ&トレイルラン界をけん引する、日本トップクラスの先輩たちの姿。
どこまで、食らいついて行くことが出来るか。

本格的に山岳地帯でのトレーニングを開始して約3か月。
普段から、高い意識付けの言葉を投げかけながら、トレーニングを行っているもののこのメンバーの中で、どこまで今持てる力をすべて出すことが出来るか。

「招待選手だけど、kakoは挑戦者だよ。」
「気負うことなく、今持てる力をすべて出すことだけに集中しよう。」
その言葉だけを掛け続けました。

今回、私が勝手にマークして、目標とした選手まで、あと2分50秒。
ラスト登り一本の山での約3分は、背中は大きいようで小さい。
手が届きそうで、届かないもどかしさ。

この3か月。力は確実についている。
山岳地帯を動き回れる基礎体力はミルミルついている。
爆発的な力はなくても、コツコツと丁寧に積み重ねるセンスはピカイチだ☆

福島への帰路、車中では、2人とも大反省会。
とにかく、熱い!競技に対する想い、福島から強くなりたい想い。

ボクが20代のすべてを山岳競技(縦走)に捧げた想いと本当にそっくりだ。
すべてのノウハウを彼女に伝えたい。
それが、ボクの使命。伝導(伝道)。

そして、もうひとつ。
「はじめての招待選手」
一生忘れることのない思い出でしょう。
競技者であれば、誰しもがあこがれる道。想い。

イベントに招かれること。

▼速く走り続けること。
▼山を駆ける大会で一番になること。

それはアスリートとして、もっとも大切なことで、モチベーションとしても、そうあり続けたいこと。
あり続けなければいけないこと。

ただ、それだけではダメ。
ひとつのイベントを成功させるためには、たくさんの人々が手を取り合って、お互いを支え、カバーし合いながら、そこに相乗効果が生み出され、はじめて、成功に導かれる道筋が見えてくること。

「速く走る方法、手段」だけを伝えたいだけではない。
たくさんの感謝を常に感じよう。

『自分に光を当ててくれたことへの感謝。』

こうやって、kakoとともに走り、伝えることが出来るのも、限られた時間。

その中で、一緒に遠征に向かう際には、速く走る方法以外の、アスリート・人としての在り方、そんな生くさい(笑)話をしています。

それが神様に与えられたボクの役目。

それは、ボク自身にも言い聞かす意味合い、初心に戻る意味合いもある。

ボクも初心に戻るよい時間が過ごせました。


こういった時間、機会を与えてくれた、オーガナイザーであり、Salomonチームメイトの星野くんはじめ、関係者のみなさまには、心より感謝を申し上げます。

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