ZAO遠征☆もうひとつの物語

もうひとつの物語 ♪
ZAO SKYRUNNING2016 (山形蔵王)

山形蔵王遠征には、目的を持って足を運んでいる。

スカイランニングは、若い世代の活躍も大きく目立ってきている。
若さゆえの瞬発力と勢い、経験値の吸収力。

7月にイタリアで行われた「スカイランニング2016:ユース世界選手権」では、若い日本人アスリートたちが大活躍した。

彼らは、二十歳前後の大学生。
ちょうど僕の年齢の半分ぐらいだ。

クラウド(ネット)上では、彼らの活躍を目の当たりに眺めてはいるが、どんなヤツらなんだろう。

若い彼らが山を駆けることに興味を持ち、山を駆ける理由(わけ)はなんだろう。
kakoと出会ってから、一緒にトレーニングをしながらいつも思うこと。

当時、大学生だったボクも無我夢中で走っていた。
19歳のボクが目の前に現れた。フラッシュバックだ。

以前の投稿で、触れたことがあったのが下記の記事。

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ボクは、高校まで10年間、野球少年。
大学に進学してから、はじめて長距離走(フルマラソン)をはじめた。

当時、フルマラソンに挑戦する“夢”を与えてくれたのが、私が通う大学職員の方でした。その方は、当時38歳。

その昔、箱根駅伝では、山下り6区を走り、総合優勝メンバーの一人。
大学職員として、働きながら、現役マラソンランナーとしても走っていた。

私は、あこがれ、すぐにコーチとして、師事した。
私が通った大学は、当時、駅伝を組めるだけの部員数もいないことから、ほぼ一人でのトレーニング。

コーチとトレーニングするのが、唯一の楽しみで、大きな大きな刺激的な時間だった。

様々なトレーニングを一人でこなしたし、またコーチの大学での仕事が終わるのを待って、日が暮れてから、30km走、40km走も、 共に走ることもよくあった。それが楽しかった。

38歳のコーチが、当時19歳の私に与えてくれた目標は“フルマラソン”在学中に2時間30分を切る!

38歳とは言え、まだまだ10km31分台、フルも2時間30分台で駆けていたコーチの背中は、遠くて大きくて、必至で追いかけた。

朝練も一人で黙々と走ったり、自炊アパート暮らしで、極度な貧血も経験し、栄養学も独自に研究した。

周りの学生からは、ちょっと浮いた(笑)
変わったヤツだった(笑)

コーチには、見たことがない、世界、フィールドへ連れて行ってもらえるのが、本当に楽しかった。
往年のマラソンランナー瀬古利彦さんの師匠、故:中村清監督の門下生だけに、コーチも哲学的な方だった。

常に問いかけられる話。
朝練ひとつにしても、ココロの在り方。
勝った時の態度。負けた時の態度。
人知れずする努力の意味。

すべての話が、競技としての目線ではなく、人として、生きる意味としての話。
お金では買えない掛け替えのない時間を過ごした。

在学中の目標は、達成できた。
野球から転向して、わずか3年目で2時間26分をたたき出した。
一生懸命に取り組めば、やれるものだ。
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一生懸命に、スカイランニングに打ち込む彼らの姿。
彼らにとっても、まさにお金では買えない掛け替えのない時間だろう。

彼らが、ボクと同じ年齢になったとき、何を思うか。
日本のマウンテンスポーツ(トレイルランニング・スカイランニング)はどうなっているのか。ワクワクしてきた。

この2日間の山形蔵王遠征でも、当時19歳のボクと38歳のコーチが、目の前に現れた。フラッシュバック。

今秋、38歳になるボク。
19年前と変わらず駆けている。
19年前のボク(彼ら)に必死で食らいついて、笑顔で食らいついて。

彼らが19年後、何をしているか。
今と変わらず、山を駆けているか。

ボクは、19年後も、山を駆けているだろう。

卒業する時に、コーチに言われたこと。
『キミもやがて、同じトキがくるはず。』
『伝道(伝導)次世代へつなぐトキがくるはず。』

とにかく、彼らは、一生懸命だった。
一生懸命に打ち込んでいた。

ボクもまだまだ、一生懸命だ。

教え育まれたことを、教え育むことが、人としての役目【伝道 (伝導・伝動) 】。

大人が冷めてちゃダメだ。
一生懸命な姿じゃなくちゃ!

一生懸命に本気で楽しむ姿を見せ続けるのが、ボクの役目(伝道)。

一生懸命は、かっこいいよ☆
超かっけーよ!!!

とにかく、無我夢中に打ち込め!
気が付いたら、キミたちも38歳だぞ(笑)

オレは、ただの38歳では、終わりません☆

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